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お知らせ
2015/09/12
土地家屋調査士試験
年に1回、土地家屋調査士の国家試験があります。
左のグラフは、とある国家試験専門学校のHP内のものです。
グラフを見ると平成20年に6074人だった受験者数は昨年4617人にまで減
少しています。土地家屋調査士の一人として、実に悲しい。
私が土地家屋調査士試験を受験したのは昭和58年、59年、60年です。3回も
受験した理由は3回目にやっと合格したからです。ただ、今とは受験者数が全く違
う。合格した60年はいわゆるバブル期ですが、受験者は2万人を超えていました。
なんと今の4倍以上も受験者がいたのです。合格率も全く違う。相和60年の合格
率は3.5パーセント。同年の司法書士の国家試験の合格率は2.7パーセントだっ
たので、難易度としてはあんまり変わらなかった。
なぜ、こんなにも受験者数が減少し続けているのでしょう。
理由のひとつは、測量を伴う仕事なので測量機器や図面作成のCAD機器とソフト
などが高価なため、初期投資が思いのほか負担ということがあるのでしょう。実際、
私も平成4年の開業時は入ってくる仕事が少ないのに測量機器等のリース代を捻出
するのに苦労をしました。
近年測量機器等は精密化するとともに高額化しています。もしも脱サラを目指とし
た場合、土地家屋調査士よりも他の資格業を選ぶ人が多くなり、結果受験者数が減
少しているのでしょう。
しかし、長年土地家屋調査士をしている私に言わせていただくと、この土地家屋調
査士という職業、実に興味深い仕事です。土地と土地の境界というものには、それ
ぞれの土地所有者の、深き思い、愛着、執着、時には執念や怨念が潜んでいます。
境界立会いの場では、それらが一機に湧き出し、錯綜する。
境界立会いを日常業務で何度も何度も経験するなかで、その執念や怨念を何度も何
度も垣間見ました。他の職業では、なかなか体験できない、それが土地家屋調査士
業です。それゆえに土地境界の問題について解決に導けたとき、依頼者からいただ
く感謝の想いには、ひとしおのものがあります。
もっともっと世の多くの人に土地家屋調査士を目指していただきたい。切にそう願
っています。
2015/08/30
尖閣列島 つづき
尖閣列島 つづき
尖閣列島は昭和7年までは官有地だったのですが、明治35年12月に公図が作成
されています。沖縄本島から尖閣諸島までの距離は300キロ以上もあります。
公図作成当時、帆掛け舟で行ったのか、ろ漕ぎ船でいったのか。まぁ行くのは行け
るでしょう。しかし東西約5キロメートル、南北約2キロメートルのこの島と他の
尖閣列島の島々の形状をどのような測量機器を使用して測量したのでしょうか。お
そらく何日も現地で露営しながらの過酷な作業だったことは間違いないでしょう。
添付図は、国土地理院が発行している図と明治35年作成旧公図を同縮尺にして対
比させたものです。旧公図は一枚に島全体が描かれているのですが、分割してコピ
ーされているので、貼り合わせ図になってしまい見辛くなっています。
公図と言えば山林などの、まったく精度の伴わないだんご図と呼ばれるような公図
も存在しますが、この魚釣島の公図はかなり精密に作製されているように思います。
そのことを授業でも話したのですが、測量作業知らない学生にとっては地図精度の
話はよりも、この島の借地代のほうが興味深々でした。
2015/08/30
尖閣列島
土地家屋調査士は必ず開業する事務所所在地の「土地家屋調査士会」に属さなければ
なりません。私、吉田は「大阪土地家屋調査士会」に所属しています。
大阪会では、10年以上前から、大阪府下のいくつかの私立大学に、講師を派遣して
法学部の学生に、不動産登記法、土地境界、境界確定訴訟、などの授業を実施してい
ます。私も平成18年から25年まで、東大阪にあるマンモス大学に授業に行ってま
した。
難しい話ばかりの授業も味気ないので、毎回授業の途中でよもやま話を入れました。
添付は平成24年の授業で配布した資料で、沖縄県の尖閣列島のうち一番面積の大き
い島「魚釣島」の土地台帳です。24年頃といえば、東京都が尖閣列島を買い取る動
きを見せ、結局は国が買収したことによって、中国国内では大々的な反日デモ花盛り
の頃でした。
土地台帳とは、もともと税務署保管の書面で、実質的には昭和30年代に役目を終え
ており、現在は法務局で閉鎖資料として保管されているものです。既に古文書ともい
える書面ですが、学生にとって、こういう書面はインパクトがあるようで、正しく目
を皿のようにして眺めてました。
授業では、「現在の登記情報」として学生に左下の横書き書面を提示しましたが、こ
の時点では、まだ国有になっておらす個人名です。(秘匿処理しています)
①石垣市字登野城魚釣島
これが、正式な所在名。
②2392番
これが、尖閣列島最大の「魚釣島」の地番です。
③367町2反3畝10坪
これは島の面積です。㎡換算は3641983㎡
④所有者欄
魚釣島は官有地だったものが昭和7年に那覇市在住の古賀さんと人に払い下げられま
した。途中の所有者遍歴は別の登記情報を集めないとわかりませんが、昭和53年に
埼玉県大宮市在住の○○さんに売買されています。但し、今登記情報を取得すると国有
になっているはずです。
⑤借賃 年1944万8183円
突然の中国の上陸を恐れてか、それとも国内の右翼団体の占拠を防止する目的か、国
は平成14年から島の所有者○○さんから借地契約をしていて、上記の地代を払ってい
ます。尖閣列島は8っつの島々を数えますので地代の総額は年3000万くらいには
なるのかな?
地代は何を基準に計算したのでしょうか? 授業をしていた当時、懇意にしている不
動産鑑定士さんに聞いてみましたが、「役人がもっともらしい理屈で算出したんやろ
う」とのことでした。
2015/08/14
地券って知ってますか?
「日本の夜明け」と称された幕末に、廃藩置県、地租改正などが行われました。
江戸幕府は、それまで田や畑からは年貢を徴収していましたが、近代日本となって、
税は土地の価値に応じて地租を徴収するようになりました。
地券は、地租改正時に日本の全ての土地所有者に配られました。所有権証明書であり、
且つ課税証明書でもあります。
明治になってすぐに壬申地券が発行されたのですが、明治8年頃にその壬申地券は回
収されて、改正された様式の地券が配布されました。画像はその改正地券です。
個人名などの個人情報も記載されていますが、もうすっかり歴史書物なので秘匿の必
要はないでしょう。
表面
①「大日本帝国政府」左書きの文字が確認できます。(仰々しいなぁ)
②調べましたが遠江国引佐群気賀村という地名は現在ありません。
③1畝4歩とありますが、㎡換算値は112.39㎡です。
④持主 谷藤善五郎さん
⑤現在でいう固定資産評価額が書かれています。11円21銭7厘
(今の価値でどのくらいかなぁ)
⑥税率100分の3だったのが、明治10年に100分の2に減税されました。
⑦明治政府の権威を示す菊の紋をあしらった大きな角印が押されています。
裏面
⑧「日本帝国ノ人民土地ヲ所有スル者ハ必ラズ此券状を有スベシ」から始まる
やたら上から目線の文章が長々書かれています。
⑨~⑪は所有権の移転状況を示す欄です。
一旦、羽田定吉と言う人に所有権が移ったもののまた谷藤善五郎さんに戻り、その後
谷藤善吉さんに移転しました。
所有権移転の原因が記載されていませんので、あくまで想像ですが、善五郎さんと
羽田さんとの間でお金の貸し借りでもあったのでしょう。その後、善五郎さんから善
吉さんに相続があったのでしょう。
それにしても私の手元にあるこの地券、立派な紙で作成されています。130年以上
も前に交付されたものですが、しっかりしています。また幕末間もないころにこれほ
どに精巧な印刷。
近代国家を目指した明治政府の心意気のようなものを感じます。
土地家屋調査士の依頼費用や事例は、お客様の土地や状況によって様々です。どのような依頼でも、迅速・丁寧に対応いたします。