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2015/11/18 土地の取得時効
土地の取得時効 最近、立て続けに「土地の取得時効」について、質問を受けたり取得時効に関連した
依頼を受けたりしました。民法には、土地を一定機関、一定の要件を満たして占有す
るとその土地が占有者のものになる、との規定があります。

(所有権の取得時効)
民法 第百六十二条
1. 二十年間、所有の意思をもって、平穏に、かつ、公然と他人の物を占有した
   者は、その所有権を取得する。

2.  十年間、所有の意思をもって、平穏に、かつ、公然と他人の物を占有した者
   は、その占有の開始の時に、善意であり、かつ、過失がなかったときは、そ
    の所有権を取得する。

この条文だけを読むと、「長年の無断占有で他人の土地を取得できる」と読めます。
ですから、162条の要件を満たす占有をすれば、あとは法務局の窓口に出向き、
その事実を申し出るだけで、自己の名義に書き換えてもらえる。そんな思い違いを
する人も出現します。事実、条文通り土地の事項取得は可能は可能です。しかし実
際には、それほど簡単には取得時効は成立しません。特に隣接する土地に長年越境
の事実があるとしても、越境部分を自己の土地とし、登記名義も自己の名義とする
ことは、意外なほどにハードルが高い。


現在、受託している事案のひとつですが、デフォルメして説明しましょう。
甲さんは1番を所有していて、乙さんは2番を所有しています。甲さんは乙さん所
有の2番の一部(1m×10メートル=10㎡)を長年占有し民法162条の要件
を満たしました。甲さんは占有しているAーB線までを自己の土地であるとして、
乙さんに申し出ましたが、乙さんは「はいはい、AーB線まで甲さんのものですよ」
とは言わなかった。
この場合、甲さんは乙さんに対し、AーB線まで甲所有であることを認めさせる裁
判を起し勝訴しなければ、取得時効は成立しません。いくら162条の要件を満た
していても、乙さんが認めなければ結局は裁判で争うことになるのです。占有範囲
が狭い場合、弁護士報酬を含めた司法解決(裁判、調停)費用のほうが高額になる
ケースは多い。
受託中の事案は、それでも甲さんが乙さんを相手に裁判を起こし、2年半の歳月を
かけて勝訴しました。つまりAーB線まで甲所有であることが、判決で認められた
のです。では、このケースで登記上AーB線まで甲所有とする手続きは、どのよう
なものかご存知でしょうか。

「1番の土地50㎡が60㎡となり、2番の土地50㎡が40㎡になる。」

多くの人がそう考えるようですが、それは間違いです!
2015/10/28 天理大学付属天理図書館
天理大学付属天理図書館 天理大学付属天理図書館。その名の通りあの天理大学の図書館です。
この図書館は、かなりの古文書類を保管しているということを以前から聞いていま
した。

現在私は、奈良県の郊外都市で土地係争の裁判に関わっているのですが、あまりに
資料が乏しく、争いが漂流しそうな状況でした。ふと『天理図書館だったら、何ら
かの資料があるかも・・・』。そう思い立ち、ネットで天理図書館を調べ、電話で
問い合わせてみると、役立ちそうな資料があるようなので、閲覧申請をしてみまし
た。
天理図書館から閲覧許可なるものが下りたので、実際に出向きました。閲覧を許さ
れた資料は、係争中の土地境界に関して、すこぶる役立つ資料だったので、大喜び
でその資料の複写願を提出しました。そうしたところ、先日その資料の複写が私の
元に届きました。

大変に助かりました。大変に。 しかし、私が天理図書館に最初に電話で問い合わ
せたのは、本年7月初め。資料の複写が私の元に届いたのは10月15日です。天
理図書館が大事に大事に保管する貴重な貴重な資料の数々を閲覧できたり、複写を
入手できることのは、とてもありがたいことです。
しかし、閲覧申請書を提出してから閲覧許可までが1ヶ月以上かかり、資料の複写
は外注の業者が行うのですが、これまた複写が届くまでさらに約2ヶ月もかかって
しまうシステムは、何とか改善できないものなのか、と思ってしましまいました。
その間も容赦なく裁判日程は進み、この夏は胃の痛い日々を過ごしました。

天理図書館の職員さんの対応は、全てにおいて親切丁寧そのものでした。複写資料
と一緒に届いた外注業者さんの請求書の金額は、2,090円です。金額だけ見る
と少々高いですが、それは見事に鮮明なカラー複写。
天理図書館の対応には何らの文句もありません。手数料も高いとは思いません。た
だ手続き日数についてはなんとか短縮できないものか。。。。
2015/10/10 名城 丸亀城 その2
名城 丸亀城 その2 各地の城址地には、かつての城下町があり、そこは官庁街になっている場合が多い。
ココ丸亀城の周辺にも武家屋敷跡地に法務局がありました。
立ち寄って、丸亀城の公図を取得しました。 公図(更正図)が全国一斉に作成さ
れたのは明治の中期頃。必ずしも測量技術者が作成したものではないとされます。
実際ダンゴ図と呼ばれる精度を伴わない公図も多く世に多く見られる反面、時とし
てその精巧さに驚かされる事もある。

丸亀城の空中写真と公図とを上下に対比させました。
全体の形状として、ほぼ正確といえるでしょう。また堀の南西部分(画面左下部分)
は微妙に湾曲しているのですが、なかなか精度で描かれています。この公図は一定
の測量技術を有する者が、日数をかけて測量し図面作成したものでしょう。

ところで、この公図には地番が描かれていません。地番がないのですから丸亀城址
地には土地台帳もなければ登記情報も一切ありません。元々公図は法務局備え付け
のものではなく税務署の台帳付属地図として備えられているものでした。
地租(現在で言う固定資産税)を徴収しない丸亀城址地をなぜ当時の技術者が手間
をかけて公図を作る必要があったのか?

ココにも摩訶不思議がありました。
2015/09/26 名城 丸亀城
名城 丸亀城 私の長年の趣味が“サイクリング”で、近年の趣味が“お城めぐり”です。
シルバーウィーク中、各地の行楽地は大いに賑いました。しかし人ごみの苦手な私は、
連休明けの24日に、クルマに愛車(自転車)を積んで、香川県丸亀市に鎮座する丸
亀城に出かけました。
名城、丸亀城の天守閣は、思いのほか小ぶりでしたが、丸亀城の見どころは、なんと
言ってもそびえ立つ高石垣。これだけの石材をどっから持ってきたのかと思うほどに、
高く高く築かれた石垣はまさに圧巻でした。大阪城の石垣よりも高い石垣を築き上げ
たのは地元の石工「羽坂重三郎」。史実でないらしいが、この立派な丸亀城が完成し
た後、当時のお殿さま(山崎家治)が、彼のあまりに高いの築城知識が敵への寝返り
で流出することを恐れ、暗殺されてしまった、という逸話まである。

『しかし、この石垣どうやって積み上げたのか?』
高名な学者さんが書いた築城作業に関する文献はいくつか読んだことがあります。と
ころがどの文献もレベル(高低差測量、傾斜角等)をどう出したのか書かれていない。
あの美しい扇の勾配は、単に勘で積み上げる工法では絶対できない。また、築城に関
して正確に人夫計算された文献を未だ見ていない。石を山から切り出して石垣用に形
を整える工法は文献で紹介されているものの、丸亀城の天守閣をめぐるこれほどの高
石垣をチェーンソー、クレーン、ユンボ等のない時代に、数年程度で築き上げた事実
は、どーしても摩訶不思議。

私の中では謎だらけのお城。今回の丸亀城も心地よい摩訶不思議感を与てくれました。

ま、江戸の人々がどのように丸亀城を築きあげたのかはさて置いて、せっかく別名う
どん県の香川県に訪れましたので、打ちたてうどんも堪能してきました。